大都会の小さな家

大都会の小さな中古マンションに住むおひとりさま女の日常をつづったブログです。 注意事項: 比較的、自分の好き嫌いをはっきり述べています。 それは、単なるさくらねこの好き嫌いであって、さくらねこが嫌いな場合であっても、そのこと・ものを否定しているのでも、そのこと・ものを好きな方を否定しているのでもないことを、あらかじめ申し上げます。1記事が長めなので閲覧はPC推奨です。 リンクはご自由に、相互リンクも募集中です!

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このブログを書いて、おどろくほどたくさんの方から「私にも同じような兄弟がいます」「家族にわだかまりがあります」「実務は私にまるなげする兄弟と難しい遺産相続をしています」といった拍手コメントをいただいています。

すべて、大事に読ませていただいています。ありがとうございます。
もし、私のこのブログが、同様の悩みを抱えている方たちの心を動かすことがあれば、それは書いた甲斐があったというものです。

たとえば、「ニートの兄弟 ゴミ屋敷」といったキーワードでググると、もっともっとたくさんの、同様のケースを読むことができます。

これはひょっとしたら、極めて現代的な現象なのかなという気がしています。

現代の核家族化は、プライバシーを保護し、個人の権利を高めたけれど、同時に、その小さな砦の中で何か機能不全が起こった場合、ひどく深刻な事態となるまで発見できず、あるいは気が付いていても救出することができない事態になってしまうのではないか、という気がしています。

たとえば昔の「ムラ社会」であれば、プライバシーも距離もないけれど、たとえばある家族が、子供のうちのひとりを度が過ぎるほどかわいがり、あるいは逆にあるひとりを度が過ぎるほど邪慳にしたりした場合、誰かが口を出すのではないか、あるいは口を出さなくても、たとえば邪慳にあつかわれた子供をほかの家がそれなりにかわいがってくれたりなどあったかもしれない。
逆に甘やかされてダメになった子供がいれば、これも周りの大人が注意したり、みんなで農作業に引っ張り出したり、あるいは寺の和尚さんが「ひとつわしが根性をいれなおすから寺につれてこい」といったかもしれない。

ゴミ屋敷だって、周りの目があればそうそう発生しないし、あるいは何かの事情でそうなってしまったら、周りが介入して片付けたに違いありません。(失火や虫、鼠などの害が出ますから、周りが介入する権利はあるはずです。)

そういう、現代の「個」を重視するありかたの弊害を埋めるものとして、インターネットは一つの手段なのかもしれないと、思っています。
こうして、顔も知らない誰かの書いたことが、「自分はひとりではない」「同じようなことで悩んでいる人がいる」と思うきっかけになるのですから。







今回のことで、私は多額のお金を使い、大阪の家にいくたびに1-2週間は体を壊しています。

今週一週間は本当に辛かった。月曜日は早退し、火曜日はふらふら歩く私を上司が「大丈夫か」と心配し、水曜日はひたすら目が回り、木曜日は大阪で吸い込んだ腐海の胞子が暴れだして呼吸が苦しかったし、金曜日は帰宅して食事も風呂もはいらず20時から記憶がありませんでした。

しかし、今回のことが起こってよかった、少なくとも今のところは、他人さまからみてどんなに歯がゆく見えても、良かったと思っているのです。

あの、過去のしがらみに満ちた家を片付けることができて本当によかった、頑固だった兄を説得して片付けを承知させた、特殊清掃会社のOさんは本当に、私にとっては神といってもさしつかえないです。

いわゆる「毒親」だった父と母ですが、この前の片づけを終わってから、「彼らが、死ぬ直前に、私に謝りたかったのではないか」と考えついたのです。
そして、そう考え付いたとき、私の中にあるわだかまりが、ほとんど消えたのです。

・・・ひょっとしたら、次、父の本を売り、母が私に無理やり買ったピアノを売り、母の陶磁器を売り、最後の片づけをしたら、わだかまりは完全に消えるかもしれない、あるいは完全でなくても、それよりははるかに良い思い出のほうが上回るかもしれない、と感じています。


 *


父は、今から12年前の12月に脳梗塞で倒れ、三週間の入院ののちに、突然血栓が心臓を止めてしまい、亡くなりました。

父が運ばれた病院は、非常に悪い病院でした。
北野病院や、逓信病院があいてなく、運ばれたのは行岡病院でした。
実名で出して申し訳ないけれど、この病院は(少なくとも私のいた時代までは)非常に評判が悪く、人が寄り付かない病院でした。(だから、風邪などで混んだ病院に行きたくない、ただ薬を出してほしいといったときには有用な病院でした。混んでないからです。)
しかも、救急指定病院のくせに(後でわかったのですが)ICUがなかったのです。

病室は臭く、重症度の違う患者がわけられずに詰め込まれていました。
父の横のベッドには、人工呼吸器をつけた老人がいて、いつも、ブゥ、ブゥ、ブゥと音をたてていました。

三週間、毎日病院に通いましたが、最初の一週間を過ぎたあたりから、父に「転院しない?」と言いましたが、父は「いや、ここでいい」と譲りませんでした。
父の亡くなる前日、私は「ここじゃお父さん治らないよ、転院しない?」と言いました。
父は「でもお金がかかるよ」と言いました。
「お金なんかどうにでもなるから、それよりお父さんが直ってほしい」というと、父は、驚きともなんとも言えない表情を浮かべました。

・・・たぶん、いろいろひどいことを言い続けた娘が、本気で「治ってほしい、戻ってきてほしい」と思ってるとは、それまで思ってなかったのでしょう。

そして、父は、何かを言おうとしました、が、何も言えませんでした。
そして何か万感の思いを込めたような目で私を見ました。

その翌日、会社にいた私に、父の容体急変の電話がかかり、その時は新大阪の会社に勤めていたのですが、タクシーを拾い病院までいきました。
私は、てっきり、ICUに連れて行かれると思っていたのですが・・・父の病室で、看護師が心臓マッサージをしていました。
母はすでにそこにおり、私がくるまで持たせていたようです。
母と私の了解で、心臓マッサージを止めてもらい、そこで父の人生は終わりました。
(ひょっとしたら、ICUがある病院に運ばれていれば、12年経った今も、父は生きていたかもしれないですが、父は、管にぐるぐる巻きにされて生かされるのは嫌だといっていたので、その意味で行岡病院で良かったといえます。ただ人生の最後の三週間をもっと快適な病室で過ごしてほしかったとは今も思っています。)


あのときの、父が何を言いたかったのか、あのまなざしは何だったのか、長い間わからなかったのですが、ひょっとしたら・・・私に謝りたかったのかなあと、今、思うようになったのです。

父が何を言おうとしていたのか、言いたかったのかなんて、本当はわかりません。
でも「謝りたかったんじゃないかしら、きっとそうだ」と、私の中でそう思えたのです。
12年間悩み続けていた謎が解けて、そしてそれは私のそれまでの心の重たさを解き放つようなものでした。


 *


母に関しても、母が亡くなったのは四年前、2012年の3月22日なのですが、その数日前が私の誕生日だったので、母が突然、電話をかけてきたのです。

「お母さんに、東京にきてほしいでしょ?」母は言いました。
私は、正直、来てほしくなかったです。
でも、言いました。
「来てほしくはないけど、来たかったらおいで」と言いました。

すると、母はなんかがっかりしたように、電話を切りました。


その数日後、母は風呂場で亡くなりました。
前日に、真新しい自転車を買っていました。自転車に乗れる元気な老人だったので、まさか亡くなるとは思わなかったです。

兄によると、風呂にはいるといって、30分もでてこないから、見ると、母が風呂のなかで浮いていたそうです。
溺死ではなく、心臓発作だったようです。

少し前の記事で、ベランダ園芸が好きだった母が、すっかり花を片付けていたことは言いましたが、その後の母は、毎日飛行機を眺めていたそうです。
マンションのベランダから、伊丹空港にむけて高度をさげつつある飛行機が見えるのです。

「夜になったら、ずっとベランダの外にいて、9時に飛行機がなくなるまで外をみていたの。あんなに飛行機が好きだなんて思わなかった」と兄は言いました。

・・・それは、飛行機が好きだったのではないと、思います。

ゴミ屋敷になった家に背をむけたかった、自分が育てたとはいえ見るも不愉快な肉の塊に育った息子に背を向けたかった、どこか遠くに逃げ出したかった、のだと思います。

体が弱って、もう兄の面倒をみるのもしんどくて、ふと、今まで息子と一緒に「嫌われ者」とかいっていじめてきた娘のところに、逃げ出したくなったのでしょう。
でも、いままでひどくしてきたという意識はあったので、「行きたい」とは言えなかったんだと思います。

それが「お母さんに来てほしいでしょ?」という、なんともいえない問いかけになったのだし、「来てほしくないけど来たかったら来ていい」といったのにもかかわらず、「行く」と言えなかったのだと思います。
(兄によると、その電話のあと、母は「あの子優しくない!」とブツブツいっていたらしいです。いやさすがにあの母に「来て」とは言えなかったし今も言えないです。)

でも、娘に、酷いことをしていた、もうしわけなかった、もう一度受け入れてほしい、そう、母が思っていた、と思ったら・・・4年経ったいま、はじめてその可能性に思い至ったら、少しだけ母に対して柔らかい気持ちを持てるようになりました。


そして、今まで私が誰からも受け入れられず、友達もいなかったと思っていましたが、家を片付けてみるとそうでもなかった、文通相手がいて、あるいは会社の人とヒルトンやリッツのケーキブッフェによくいっていたり、そんな楽しい思い出が、意外とあったんです。


 *


私にとって、ゴミ屋敷になった大阪の家の、ゴミ処理は、私の思い出のなかの、不快で嫌な思い出を捨て、楽しかったこと・うれしかったことを再度発見するための処理でした。

家の中に、ずっと開かずの間になっていた六畳間があって、そこはふすまをあけると、まっさきに例のタンノイの巨大なスピーカーが置いてあって、その奥のゴミエリアに入れなかったのですが、(兄はだいぶ難色を示しましたが)なんとかその部屋を片付けることができました。

隣の空いた部屋にタンノイのスピーカーを移し、通れるようにしたら、ほとんどがゴミで捨てていいものでした。(その部屋の押し入れの天袋に、お雛様はありました。)

私はその部屋がカビだらけだと予想していたのですが、ゴミを撤去してみると、むしろきれいな部屋でした。畳は傷んでいるものの、そのほかはむしろ痛みが少なく、窓をあけると初夏のいい風が吹き抜けていきました。

その部屋にかかっていたカレンダーは、2006年の12月でした。
それは私が大阪を捨て、東京にいった月でした。
(その部屋はそのころ私が使っていたわけではないのですが、私がいなくなったらカレンダーを替える人もいなくなったのでしょう。)

ゴミ屋敷の掃除は、それは私が家族を心から締め出した10年間を、回復するために必要なことでした。

2月半ばに、管理人から「お兄さんを一か月見ていない、管理費も1月2月を滞納している」と電話があったとき、「管理費はいれつつ、あともう半月か1か月放置して『確実に』死んでもらって」から行かなくてよかったと、思っています。

そうしたら、兄の腐乱死体とともに、家族に関するすべての思い出を「汚物」として、見ないようにして処理しなければならなかったでしょう。


5月の上旬の、兄がカギをなくして入れなくなったときも「連休中、海外旅行にでもいっていたフリをして、『確実に』野垂れ死にさせよう」と思わなかったわけではないけれど、行ってよかったです。
あのとき兄が気弱になっていて「家を売る」といわなければ、掃除に着手できなかった。

掃除に着手できたことで、私は、過去の良いものを拾いだすことができた、過去の嫌なことを捨てることができた、まだ100%じゃないけど、私にとっては素晴らしい体験だった。
1回目の掃除で76万円、次にやってもらったらおそらく100万円超えますが、貯金をはたいてでも私にとっては必要な作業だったと、今は思っています。

そして、今、兄のほうから、家を売らないと言い出したのも、私にとって幸いなのだと、思っています。
(あとでもう一回念を押して、兄が「売らない」といったのを、録音しようと思っています。)

私が兄のために次の住居をみつけ、家を売ってその半額のまとまったお金を持たせるのが、おそらくほぼ全員の目からみていい道だと思うのですが、兄からそれを蹴ったので、私はその面倒な仕事から逃げられます。

あと少し、良いものを拾い出して救い上げたら、残りはゴミとして、兄と一緒に捨てていきます。





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拍手[44回]

朝の陽ざし

初めまして。アラフィフの専業主婦です。

「父母は死ぬ前に謝りたかったのではないか」と思え、楽しかったことを思い出し‥よかったですね。
少し前からさくらねこさんのブログを読んでいたので「長い雨の後に柔らかい朝日が射しこんで来た」ような暖かい気持になりました。
辛い家庭環境で育たれたにもかかわらず、人としての礼節を忘れないさくらねこさんの生き方に頭が下がります。
by きゅう 2016/06/13(Mon)16:57:37 編集

Re:朝の陽ざし

コメントありがとうございます。
気づくのが遅れてすみませんでした。
少し前から読んでいただけているとのこと、うれしいです!

今回のことは、私が長い間避けてきたことをやるべき時が来たというだけのことだと思っています。
もう少しでおわりそうです。
2016/06/18 23:06
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