大都会の小さな家

大都会の小さな中古マンションに住むおひとりさま女の日常をつづったブログです。 注意事項: 比較的、自分の好き嫌いをはっきり述べています。 それは、単なるさくらねこの好き嫌いであって、さくらねこが嫌いな場合であっても、そのこと・ものを否定しているのでも、そのこと・ものを好きな方を否定しているのでもないことを、あらかじめ申し上げます。1記事が長めなので閲覧はPC推奨です。 リンクはご自由に、相互リンクも募集中です!

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朝はおなかが痛くて、何も食べられなくて、それでも食べないともたないので、朝会社でコンビニサンドイッチ(ハムとキュウリ)食べたけど、ことごとくもどしてしまいました。

昼に、フジパンの黒コッペとリンゴジュース。
こういうものは大丈夫です。
ただ、一度には食べられないです。

夜は寿司(8カン)と茶碗蒸しとマンゴー。

糖質は大丈夫で、脂質もあまり多くなければ大丈夫(堂島ロールも大丈夫だし太刀魚のてんぷらとかも大丈夫)、卵も大丈夫、柔らかい魚ならあまり量が多くなければ大丈夫(寿司とか、アジのフライとか、調子が良ければうなぎも)、でも獣肉がかなりきついです。

調子が良いときは、ヒレカツが1-2切れとか、ローストビーフ2-3切れれなら大丈夫だと思いますけれど、調子が悪いとコンビニのサンドイッチのハムすら厳しいです。

特に鶏肉は見るだけでウッときます。

どうも、たんぱく質の塊を溶かそうとすると、胃までダメージがくるようです。

数日前から、会社の隣のナチュロ(顔を覚えられている)の店員さんに、ウナギ予約してといわれましたが、こんな体調じゃなかったら買ってもよかったんだけど、ここ数日ウナギはきつい気がしてやめときました。
先々週にウナギ食べておいてよかった。

食べてる量は少ないですが、糖質過剰で甘いものも食べてるので一向に痩せません。

このままお肉が食べられなくなるとしたら悲しいです。
ふるさと納税でいっぱいお肉を頼んだのに・・・(4件中、1件がカボスハイボール、2件が肉、1件がお米です)。
福岡県久留米市の黒毛和牛1kgとか、茨城県古河市の常陸牛極上肉700gとか、食べられなかったら悲しいです・・・。

お年が原因なのか、それともストレスや夏負けのせいなのかはわかりません。

とにかくお肉が届くまでにおなかを治したいです・・・。
お年だとは思いたくない。


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久しぶりに、ネットの上のお友達とお話をしました。
高校二年生ですよ、野球少年ですよ、まぶしい。

いろいろ書いたのだけど、その高校の関係者に見られるとまずいかもしれないので高校がわかる部分は大幅カットしました。

去年、甲子園出場した高校の生徒なのですが、去年は一年生で出場できずベンチを温めていただけ、今年は二年生でひょっとしたらレギュラー?と聞いたら、レギュラーどころか、監督から一方的に「君は記録係」といわれて、試合にも出してもらえなくなった・・・ということでした。

かわいそうな話です。
理由も言ってもらえないし、試合に出してもらえないならうまくなれないし、試合に出してもらえないなら練習するモチベも下がるし、かわいそうなことです。

私も似たような目にあってるけど(今日もA氏は、社内のサーバの変更に関して関わるエンジニアを集めて説明したけれど、エンドユーザーにかかわる部分を説明したら「さくらねこさんはここまで」といって私を追い出しました^^;私にはどうあっても技術的な部分を教えたくないようです)、でも、わずか16-17歳でそんな目に遇うなんて悲しすぎます。

そんな監督、ダメな監督だと思います。
誰かひとりを記録係にして試合にも出さないみたいな扱いをするなんて、まともなチームなら士気が下がるでしょう。

私には、彼が自分の納得できるような参加ができるようになるように祈ることしかできないです。
自分よりうまいメンバーがたくさんいて参加できないというのなら納得できても、理由も言われず記録係にされて試合にも出してもらえないというのは絶対違いますから・・・。


 *


ショスタコーヴィチの交響曲第7番「レニングラード」ですっかりハイになって、他のショスタコーヴィチの楽曲も聞いてみようとしています。

ショスタコーヴィチは、有名な交響曲第5番と第7番しか聞いたことがなくて、どちらも重い音楽なのですが、今回は第9番を聞いてみました。

これは第二次世界大戦終結の祝賀の音楽なのですが・・・ソ連当局には全然ウケず、前衛的で退廃的な音楽だと批判される結果に終わりました。

聞いてみると・・・むしろ「レニングラード」よりはるかに「ロシア的」な気がしました。
戦争が終わって、すべてのロシアの民衆が踊りだしているような第一楽章は、聞いていて楽しいです。洗練されたロシアバレエの踊り子も、泥臭いコサック騎兵も、みんな解放的な気分で踊っているのです。
すべての人がてんでんばらばらに踊っているけれど、みんながこの楽しい気分を共有しているということだけは確かなのです。
第5番や第7番のような重くて壮大な音楽ではなく、軽妙洒脱で、ショスタコーヴィチってこんな音楽も作曲するのねと思うような音楽でした。

・・・これは、ファシズムに勝利した今、ソビエト共産主義のもと人民が一丸となって戦勝を祝い、ソビエト共産主義の勝利を高らかにほめたたえよう、みたいな音楽を期待していたソ連当局には嬉しくはなかったでしょう。
(彼らが期待していたのは、第5番や第7番のような、重厚で、感動的なものだったはずです。)

本当は「レニングラード」のほうがはるかに、ロシア的じゃないです。
それはレニングラードそのもので、ロシアの一番西にあって一番西欧化されている都市レニングラードを描く音楽は全然ロシア的じゃなかったです。もちろん泥臭い「ソビエト共産主義的」でもなかったです。

敵も、ナチスドイツなんだけれど、それは「ファシズム」という観念的なものではない、レニングラード市民が対峙している直接的な敵軍、敵兵の一体一体が識別できるぐらい間近に迫った敵を描いたものでした。

だから、あの音楽は「レニングラード市民の、ナチスドイツ軍に対する勝利」であって、決して「ソビエト共産主義の、ファシズムへの勝利」ではないのですが、そう解釈しやすい題材だっただけに、実際はそういうイデオロギー的なものではないことが見えにくかった。
(本来、あの音楽は、そんなイデオロギー的なものではない、むしろ、沖縄のおばあさんが戦争体験を語るというのと同位置にあるべきだと思います。)

第7番も、ソビエト共産党の思想のために作曲したわけではないと私には思われるのですが、それを聞いた同時代の作曲家バルトークは「国家の奴隷にまでなって作曲するものは、馬鹿」といい、あの有名な「ちーんちーんブイブイ」のメロディをおちょくった作品を作曲しています。

そんなことを言われて「いや本当はもっと違う音楽を書きたいんだ」と第9番を世に出したのでしょうか?
ショスタコーヴィチは、初期の作品を前衛的だとソ連当局から批判されて、リハーサルまでしていた交響曲第4番を慌てて取り下げた経緯があります。
そのあと作曲したのが、ソ連当局好みの第5番で、だから、前衛的で洒脱な作品があぶないということは分かっていたはずなのに、それでもなぜ敢えてこれを出したのかなあと思います。

この作品のロシア的な部分が、大目にみてもらえるかもしれない、と思っていたのかもしれません。
しかし結局、第9番は、ショスタコーヴィチへの攻撃材料になってしまいました。

ショスタコーヴィチは、スターリン時代にあって、常に当局の顔色を伺いながら作曲をしなければならなかっため、多く誤解されるところがあると思います。

しかしその制限は、彼の天才をひとつも損なっていないと思います。
困難な制限の下で、なおも、精神は自由でありつづけられることを証明しているかのようです。

ソ連という国がなくなってもう四半世紀ほど経っていますが、ようやくショスタコーヴィチをイデオロギー的な意味、あるいはその反動としての意味でなく聞ける時代になったのかもしれません。




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なんだか、新しい髪型は評判が良いです。
ただ単に長い髪を洗って乾かすのが面倒になっただけなのですが。

帰りに、エレベーターホールに向かったとき、エレベーターホールにある自販機に向かうA氏と一緒に出るような感じになって、A氏が「イメチェンですかー」って話しかけてきました。

ごめんなさい、とっても嫌でした。
何て答えていいのかもわかりません。

5年、ことあるごとにバカにし、私のミスをあげつらい、私がすぐに答えがでないと「あーこいつやってないなー」って顔でニヤニヤし、私がミスをしてなかったら悔しそうに「ミスじゃなかったらいいですっ」と怒り出し、私が昇給がなかったことにニヤニヤし、私が何か良くなりそうなことをすると「こんなことしやがって」とかいい、すれちがいざまに「子供っぽい!」と吐き捨て、仕事の共有もまともにせず(最低限はしますが、どういう経緯なのか仲間として共有はしない)、私がゴミを捨てていたら「責任とれるんですかぁ?」とニヤニヤよってきて、私が捨てるまで手がまわりきらなかったら「片付けながらやれ」と怒鳴り、私の姿を見たくない時はわざと私を背中にむける、そんな人間がいきなり話しかけてきて、私が怯えたり不快感を感じたり逃げ出したいと思ったりしないとでも思うのでしょうか?

一応、無視するわけにもいかないので「とっても暑くて切りました」というようなことを言って、逃げ出しました。

A氏はおそらく、私がバカでそんなことをしても気が付かない、あるいは気が弱いか頭が弱いから言い返さない、傷ついても居ない、傷つけてもやり返さないからいいようにいじめることができる、でもいじめても俺を嫌ったりしない、だなんて考えてるんでしょうね。
あるいは俺様が話しかけてるんだから受け入れろというんでしょうか。

ごめんなさい、大嫌いです。
大嫌いなだけじゃない、人間として心の底から軽蔑してます。
A氏にいいたい、あなたが私にしたことを、あなたの娘が同級生にしてたらどう思いますか、そんなことをしつづけた人間をされた人間が好きになることがありますか、私に対してだけじゃない、他の人でも弱い人だと思ったら小ばかにしたり陰口をたたいたり、そんな姿を見ている人間なんか、仕事のことはどうあれ、近寄りたくないです。
あなたみたいに子供っぽくて近視眼的ないじめっこじゃないから、だまってるだけです。

子供っぽくわざとらしく私の移動にあわせて背をむけたり、話しかけられても「何コイツ話しかけてるんだ、空気読んでさっさと引っ込め」みたいな顔をしたり(A氏やA氏の仲良しの嫌な奴クラブはそうします)、そんなことをするほど馬鹿じゃないだけで、大嫌いです。


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たまに、A氏は突然話しかけてきます。
半年か1年に1度ぐらいですが、奇妙に親し気に。

数年前の話ですが、お茶とウォーターサーバーが用意しているところで飲物をいれていると、A氏がやってきて「いやあ、最近コーヒーばっかり飲んでるんですよー」なんて言ってきたことがあります。

そのころはA氏が私に一番ひどかったころなので、怒りとか憎しみより恐怖しか感じなかった。

なんとか「あ、お茶よりコーヒーのほうが本当はカフェイン少ないらしいですよ」と答えました。

そうしたら、なんだか不満そうで、なおも「最近コーヒーばかりで」と言ったので、同じことを返したら、ダメだコイツ、みたいな顔をして肩をすくめて立ち去りました。

いつもバカにして見下している人間に、何かこじゃれた返事をすることを期待してるほうが無理ってもんです。

「あー、人をバカにして俺は仕事ができるんだーって仕事かかえてるゴクローサンな人ですからねえ」なんて皮肉れるほど私は人柄は悪くありません。

「お疲れ様です、私が至らぬばかりに仕事をさせてしまって」とでも言ってほしかったんでしょうか。人をバカ扱いして仕事をさせないのはA氏だし。普段のA氏の私に対する態度で、私からねぎらいの言葉が出ると思ってるとしたら、頭がおかしいです。ユダヤ人にヒトラーを好きになれと言うようなもんです。

そもそも、どちらにしても気持ち悪さと恐怖で、何を言っていいのかわからなかったというのが正解です。
ここで何かA氏の気に入るような返事ができたり、A氏を皮肉って言い返せたりするような人間なら、こんなことになっていません。

昨年、ライザップをしていたときも、誰かとライザップの話をしてたとき、話に入ってこようとしました。
その時も、情けない話、不快感と恐怖のほうが先に立って、何か早口に「フォームを正してピンポイントで筋肉に負荷をかけてギリギリできる回数プラス2-3回することで最大の効果を出してるんですよ」といったことをいって逃げ出してしまいました。

でもね、私は弱虫で、うまく言いたいことが言えなくて、もっさりしていて、人から誤解されやすくて、人から利用されたりバカにされたりすることがとても多いけれど、はっきりとした意思をもって、そういう人間にだけはなりたくない、って思ってるんですよ。



小学校六年生のときの担任は、思い出しても不愉快な人で、イトウという女でしたが、私の名前を汚いもののように呼ぶのです。(非常に言葉遣いが悪く、男みたいな言葉で人をののしる先生でした。母が、「あの人は先生としてあまりに資質に欠けている」と言っていました。)

私が誰かに友達になりたくて、色々話しかけたのだけど、その相手は嫌だったらしく、嫌われてしまいした。イトウ先生は「サクラネコはシツコイから嫌われるんだっ!」と怒鳴りました。

誰かが私にしつこく話しかけました。私は本を読んでいたかったので、最初のうちはそれとなく避けたり返事をしなかったりしたのですがそれでもしつこく話しかけてきたので、怒ったら、その子はイトウ先生に言いつけました。イトウ先生は「サクラネコはどうして相手が友達になりたいのがわからないんだ、それだからオマエは嫌われるんだっ!」。

私が話しかけるのは「友達になりたくてでもついしつこくなっていた」として、「友達になりたかったらもう少し相手のことを考えてあげなきゃ」って言わずに「お前が悪い」。
私が嫌なことをされるのは「相手が友達になりたがってるのがなぜわからないんだ」です。
相手に「さくらねこだって本が読みたかったんだししつこくしすぎた君も悪いよ」じゃないんです。

そのイトウ先生にしてみたら、「A氏が友達になろうとしてるのがなぜわからない、だからお前は嫌われるんだっ!」って言うんでしょうね。

嫌われて結構です。
私だけではない、相手が弱いと思ったらモラハラをし、嫌いな相手を死ね死ねという、最低な人間だとA氏のことを思っているし、そんな人間にだけはなりたくないと思っています。ついでにイトウ先生みたいに生徒を「オマエ」と呼ぶ、粗暴で、嫌いな相手にはどっちにころんでも「お前が悪い」と言い張る人間は大嫌いです。
(そもそも、そんな人間を受け入れること自体が、無理です。水の中で足を延ばしていたアサリが、足をつつかれてからの中に引っ込むがごとくです。)


愚かな私には理解できないです。
世の中に受け入れられるのは、A氏みたいな人なんです。
だから、A氏が私をバカに思うのは、わかります。私はどうやってもA氏のような要領いいことはできません。したくもありませんが、できません。頭が悪いんでしょう。
だから、A氏が私をバカにするのは、仕方ないと思っています。A氏からしたら愚かにしか見えないでしょうから。

でも、理解できないのは、バカにしつつ、私をあたかも羨んでいるかのようなことをすることです。「俺様の持たないいいものをもちやがって」ともし思ってるのだったら、それはお門違い、それはA氏や、A氏のような「要領のいい」人たちが自分から捨ててることなのですから。

さらに、普通の世間話をしようとする(?)のはもっとわかりません。
A氏やそのお仲間さんたちは、自分たちが話しているときに、私が何か口をさしはさむと、急に黙り込んで「オマエなんかと話をしたくない」という顔をします。私がさらに何か言うと「空気読んで早くあっちいってくれないかな」という顔をしたり、手を挙げて私の顔の前にかざして黙れの態度をしたりします。
(たとえば大阪に出張とかいう話で、大阪だったら、と私が何か話そうとする、そんなときです。)
自分が話したいときは私が嫌でも話しかけるんですね。自分が話したくない時は顔も見たくない、お前の話なんか聞きたくない、おまえの話に有益な情報が含まれていても、いや含まれていたらなおさら聞きたくない、という態度をしてくるくせに何を考えてるのでしょう?


今度、A氏が、そういう、奇妙に親し気な話しかけ方をしたら、勇気をふるって、A氏を不思議そうに見つめて、「今まであなたがしてきたことを考えたら私にそんな風に言うのはお門違いじゃありませんか」と聞いてみようかな。

そう言ったらどういう顔をするのかな。



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