大都会の小さな家

大都会の小さな中古マンションに住むおひとりさま女の日常をつづったブログです。 注意事項: 比較的、自分の好き嫌いをはっきり述べています。 それは、単なるさくらねこの好き嫌いであって、さくらねこが嫌いな場合であっても、そのこと・ものを否定しているのでも、そのこと・ものを好きな方を否定しているのでもないことを、あらかじめ申し上げます。1記事が長めなので閲覧はPC推奨です。 リンクはご自由に、相互リンクも募集中です!

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前回の同タイトルの記事が、「同じ境遇の人が居るんだ」と思ってもらうためだけの記事だったけれど、今回の記事は「なぜそんなニートが発生するのか」を考えたいです。

今回も、何かの解決策ではなく、なぜ兄が高齢ニートになったのかを、シェアするだけの、記事です。(長いです。)

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高齢ニートの存在には「精神的に虐待し、金銭的に甘やかす親」が深く関わってるんです。

もちろん、中高年になってからリストラされ、業種的スキル的に再就職が困難であるとか、ブラック企業にこき使われて精神的・肉体的におかしくなってしまったなど、他の原因もあると思いますが、「長い間引きこもり」「働かず、家内労働もせず、金銭ばかり要求する」系のニートについてはかなり確実に「親が悪い」と思います。

「精神的に自立しないようにして」「金銭的に甘やかす」んです。金銭的に面倒を見切れなくなったらたまに親が突然追い出すとかあるけど、それは(ニート側の肩を持つわけじゃないけれど)酷いというものです。

飛ばないように羽を切って飛び立たないようにして、餌だけ与えて、いつまでも雛のままにする親が、居るんです。

親がそうしてしまったもの、兄弟が何かすることはできないんです。
(私の兄もそうですが、そうされる子供って「オレは働かなくても食べさせてもらえる特権があるんだ」と思い込んでいて、しかも食べさせてくれる人間を見下すという習性があります。不思議なことです。他の兄弟より自分は特権があるんだ、一段偉いんだ、と思ってるから、兄弟が何を言っても逆上して聞きません。そのくせその兄弟にたかろうとします。)

兄弟としては、ただでさえ財産のほとんどをそういうニートに食いつぶされて、親の死後は負の遺産として残されて、割り切れない思いしかないです。
(私もそうですが、兄は10年近く私立大学と大学院にいっていて、ほとんどの財産を失いました。私は、一応大学は行ってますが、穴の開いたパンツをはいてたりしました。)

そうして、そういうニートは、社会的・金銭的・肉体的に内部崩壊を起こして、メルトダウンした原子炉のように、壊れていきます。
 

製造者(=親)が死んだあと、そういうニートを何とか立ち直らせようとか、救いの手を差し伸べようとかは、できません。
自分がまきこまれないように逃げることしか、残された身内にできることはありません。




兄が、どう育てられたかは、(想像はつくのですが)私が語ることはできないです。
なので、私が、どう育てられたかを、多少の例を挙げて述べてみたいです。

父も母も、私のことを「キチガイ」「嫌われ者」といい続けてきました。
物心つくころからです。(どんなにひどい子供だとしても、2-3歳の子供を捕まえて「キチガイ」と言う親って想像つきますか?つかないでしょう。でも実際に存在していたのですよ。)

キチガイで嫌われ者なので、父や母や兄から何をされても、「ここを出て行けない」と思っていました。

キチガイで嫌われ者でしたが、学校の成績だけは良かったです。

しかも父も母も外面だけは良かったのです。
食べさせないとか殴るとか学校に行かせないとかいう暴力だったら他の人に知られるけれども、「キチガイ」だの「嫌われ者」だの言い続けて育てた子供が世間に上手く適応できるわけがなく、でも、その結果を「だからしつけているんだ」と言えるわけです。
運よく(謎)どんなにいじめても学校の成績は高いから、非常に気づかれにくかったと思います。

私を最も傷つけていることのひとつの例は、私が20歳を過ぎて、会う人ごとに「私はキチガイです」と言うようになるまで、そしてそれを両親が知るまで、キチガイキチガイと言い続けるのを辞めてくれなかったことです。
それも「他人に言うなんておまえはキチガイだ」と言ってから、でも、「他人に言いふらされたら困る」とでもいわんばかりに、言わなくなりました。

私の心がどれほど傷つこうと止めてくれない、どころか傷つくと分かると喜んで言い続ける、でも他人に知られたらそれを止める、というのは、あんまりだと思います。

まだまだあるのですが、もうひとつ例を挙げると、私が大学に合格したとき(同志社大学です)、父も母も「同志社大学なんて」と私に言いつつ、父母が(特に母が)会う人ごとに「うちの娘は同志社大学に合格したんです!!!」と吹聴していたことです。

例えるなら、私がコツコツとアルバイトをして貯めたお金で買ったアクセサリーを、「そんな安物」とあざ笑いつつ、コッソリ持ち出して身に着けて人に自慢しているということです。

私は、両親にとってモノでしかなかった、アクセサリーにすぎなかった、ということです。
「陰でいじめているくせに、虚栄を満たすために利用できるところは利用する」ということです。
(ゴミ屋敷の中で、ホコリにまみれて打ち捨てられた柿右衛門の陶器は、私と似ています。私が何とかして救い出してあげたいと思うのはたぶん自分と似ているからです。)

でも、同志社大学の高い学費を払う両親は、娘を虐待している親には見えないでしょう。

さらに、それなりに評判の良い大学への進学は、兄からの虐待も強める結果になりました。
兄は、大学受験に失敗して、予備校に通っても、名のある大学にいけませんでした。学歴ローンダリングをしようとして大学院進学を希望しましたが、やはり同じ大学の大学院でした。

「オレより下のくせに同志社行きやがって」から、「オレみたいに苦労していないんだから償うべきだ」まで、言いがかりはさまざまでした。
(そういえば受験前は、兄から酷いいじめをうけました。受験日前日、一晩中文句を言われて寝せてもらえなかったり・・・)


私は、20年以上、自分の出身大学名を人に言うのが怖かったです。
履歴書にはそれを書かざるを得ず、面接では言いますが、誰かに聞かれたとき、言えば「私はそんな良い大学に行けなかったのに、良い大学にいったあなたは私になにか償うべきだ」みたいな理屈でなにか要求されないか不安でした。(実際、小学校時代の友達から、そういう、兄と同じ言い方をされたことがあります。)

大学は、ちょうどバブル時代で、しかもいいところのお坊ちゃんお嬢さんが多い大学だったので、ぜんぜんなじめず、家族からの扱いを含め、いい思い出はひとつもありません。
そういうこともあって、大学は、履歴書を書くときの自分の記号であるかのように心の中で処理してきました。面接以外で聞かれたときは「関西の私立大学行ってました」とぐらい答えていました。
4年前の、Aicezuki君のカンニング事件を聞いて思わず腹が立ったとき、自分に愛校心のようなものがあると初めて気がつきました。その事件と、そのあと1年後、母が他界したことで、初めて自分の大学について口に出すことができるようになりました。

私のことだけ、書きましたが、こういう親が、兄をまともに育てることができたと思うでしょうか。

私の両親の手口は、兄に対してにしても、私に対しても「お前はダメな人間だ、お前みたいなダメな人間を容赦して食わしてやるのは自分たち親だけだ」という言動をしつづけたことです。
子供たちに自立してほしくなかったと思います。
口では「どうして自立しないんだ」と言うけれど、それは近所からニート兄がヒソヒソ言われるようになってからのことです。

自分たちが羽を切っておいて、無様に転げたら、それを反省するでなく、むしろ「やーい無様だ無様だ!」「なんでお前はよそ様の雛みたいに飛べないんだ、飛べないからやっぱりお前は馬鹿なんだ!」とさらに言う種にさえ使うのです。

兄は、「お前は頭が悪い頭が悪い」「お前は馬鹿だ」と言い続けられたのだと、思います。
だから「馬鹿ではない」ことを証明しようと、いい大学を受け続けました。
最初のうちはそうだったかもしれない、でも、だんだん「自分がいかに父に心を傷つけられたか」と言えば母がお金を出してくれることに気がついて、さらに悪くなっていきました。

兄は、最初から馬鹿だったわけではない、と思います。
なぜなら、中学1年生のときに、英検3級に合格していたそうです。
でも、中学2年か3年で、英検2級に落ちたとき、「英語なんてくだらない」と言うようになったそうです。
(そのエピソード自体は私が見たことではないですが、兄は、妹の私から見ても、できないことを正当化する傾向が強かったです。何かやってみてうまくいかないとすぐに「自分がやれない」ことを正当化します。やれるまで判ろうとする、失敗しても次がんばる、ということができない人です。だから、だんだん、何もできなくなっていきました。)

この段階で、兄は、自分の誤りを認められない人間に変質してしまっていた、と思います。
人が、何か新しいことを覚えるときは、たくさんの「自分の知らなさ」を知らなければならないのです。
それは決して「お前はこんなこともしらないのか、ヤーイヤーイ」という意味ではないです。
「ああ、自分はこれを知らなかった、だから覚えればいいんだ!」ということなのですが、父があまりにも「お前はこんなこともしらないのか、ヤーイヤーイ」と言い続けたと、思います。

兄は、本当は、最初は、頭が悪くなかった。
だから「英語なんていらないんだ」みたいな理屈をこねて自分を正当化する方に自分の頭を使うようになった。
そして母がそれに金を与え続けた。できないのを「タカオちゃんは悪くない」しつづけたのです。
非常にもったいない話です。


こういう、「子供にお金を大量にかけながら、心を踏み潰す」親が、ニートを作るのではないか、と考えています。

私と兄との違いは、たったひとつしかなかったです。
それは、兄には、同じようにいじめる先(つまり私)が居たということ、私は終点に居て、立ち上がるのでなければ、自殺するかしかなかったということだけです。

昔はなぜこういうことが表面化しなかったかというと、親が金銭的に抱えられなかったというだけのことです。

心を踏み潰された子供は、おそらく昔からたくさん存在していました。

でも、羽を切られた状態で無理やり巣から放り出されたら、生命力が強い・切られた羽が再生するまでしのげた・誰かいい人間に拾われて手当てされた等で飛び立てたか、あるいはそのまま餓死するかカラスか猫にでも食われたかの、のどちらかになっただけです。

今は、豊かになりすぎて、雛のまま抱えられてしまうようになった、それだけです。


食べ物を与えなかったり、暴力を振るったりする親は発見されやすいですが、心に暴力をふるう親は、発見されにくいです。

でも、心に対する暴力は、決して小さいものではないです。


兄は、だんだん壊れていってきています。
実は、1月に大阪の実家にいって、入れなくなった家の玄関から、兄を見たとき、兄の体の一部分が、変形しているのが、見えました。

今回は、兄はほとんど出てこなかったです。

きっと、すごく長くは生きないでしょう。

見た目には見えないですが、片目の網膜がやられて、見えないそうです。もう片方も良く見えないらしいです。

そのうちに、きっと、足かどこかが腐ってくるか、あるいは精神科の薬と酒で、完全に脳みそがおかしくなるでしょう。

父も母も、兄を自己満足から壊して、勝手に旅立っていったんです。ひどい人たちです。
兄の憤怒は、私に向かいます。向かわなかったとしても、兄は自分を壊して、むごたらしい死体と汚部屋の処理は、私に託されます。

子供の、心を壊して、体だけ育てることがいかに残酷なことか、私は知っています。

私は兄のようにはなりたくない。

それが私を支えていた、そのことに、ごく最近気が付いたのです。


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拍手[16回]

無題

果てしなく深い話なので「がんばったね」とか共感している様な無責任な事は言えません
同じ目にあって苦労した人には言う権利があるかも

願わくば、るーさんとそのおっぱいが「悪夢」と呼ぶにふさわしい過去の呪縛に囚われる事なく、
るーさんの未来の自由と利益のみに尽力される事を(´・ω・`)
by 暗黒係長 2015/03/23(Mon)23:41:30 編集

Re:無題

コメントありがとうございます。
私のことるーさんということは、FF11関係の人かな?
読んでくれてありがとね!
でも「おっぱい」とか言わないでね!
2015/03/30 21:30
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