大都会の小さな家

大都会の小さな中古マンションに住むおひとりさま女の日常をつづったブログです。 注意事項: 比較的、自分の好き嫌いをはっきり述べています。 それは、単なるさくらねこの好き嫌いであって、さくらねこが嫌いな場合であっても、そのこと・ものを否定しているのでも、そのこと・ものを好きな方を否定しているのでもないことを、あらかじめ申し上げます。1記事が長めなので閲覧はPC推奨です。 リンクはご自由に、相互リンクも募集中です!

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私は、パソコンが必須の、現代の会社の中で生きています。
パソコンが必須で、トラブルを起こすから、使いにくいから、仕事があります。

ウィンドウズは悪名高いけれど、トラブルがなくて安定しているOSであれば、私の仕事なんかないわけです。

便利で、効率的で、トラブルが無くて、運用に人手がかからないものは、果たして人間にとって良いものなのか、と思うのです。

(個々の)人間にとってはよくても、社会に生きる人間集団にとっては良くないかもしれない、と思うのです。



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私は、三国志にある種マニア的に詳しいけれど、戦国時代は全くだめです。
  通り一遍の、知識しかないです。その知識で言うので細かい部分は違うかもしれませんが、今、
私が興味を持っているのは、信長・秀吉・家康における下記のような変遷です。

1.キリスト教に興味をもち、宣教師を保護し、外国への侵略を考えていた信長
2.キリスト教を禁じ、宣教師を追放し、しかし外国への侵略は考えていた秀吉
3.キリスト教を禁じ、外国と最小限の交流のみ持ち、外国への侵略どころか鎖国政策を布いた家康(とそのあとの徳川政権)。

キリスト教というのは、ある種非常に危険なシロモノで、特に16世紀ごろからの植民地主義においては、植民地支配の尖兵になりがちでした。

純朴な現地の住民に「現世の富を投げ出せ」みたいなことを布教し、土地や支配権を手放させて、結局白人のものにする、という狡いやり方の手段となったのです。

また、それは奴隷をも生み出すことになってしまいます。
キリスト教自体が奴隷を禁じているのにもかかわらず、「人に奉仕すること」を徳として教え込みそれを教え込んだ白人は純朴な人々を奴隷とするという、非常に狡い手段となったのです。

信長がキリスト教を保護したのは、本心かどうかはわかりません。
その当時非常に幅をきかせていて支配の邪魔になった仏教に対抗するための方便だったかもしれません。

秀吉の代になると、キリスト教の宣教師の危険性が目に見えてきました。
秀吉は、日本人が宣教師の手によって奴隷として海外に売られるのを見て、伴天連を追放し、奴隷を禁じました。
しかし、他国から侵略の可能性を排除しつつ、他国に侵略するというのは、ある意味非常に身勝手なことです。

家康以降、家光までの間に、日本に来ていい西洋人は「キリスト教を布教しない」ことを約束したオランダ人のみとなりました。
(オランダ人は、スペインの領土だった時代、スペインからの思想の押し付けと弾圧に苦労しているので、その辺理解があったのでしょう。)

それだけではない、外洋航海に足る船を作ることも禁じ、日本人が海外にいくことも、海外に渡った人間が帰国することも禁じてしまいました。


信長や秀吉の時代には、フィリピンやインドネシアに渡って交易をした日本人もいたのです。
しかし、家康はそれを捨てたのです。

ひょっとしたら、家康がもし対外的な侵略を望めば、もっと違った未来があったかもしれない。
イギリスに敗れて国力が衰えたスペインに代わって、フィリピンなどを支配し、そこからさらに南下してイギリスより先にニュージーランドやオーストラリアに到達し、イギリス人の代わりにマオリ人やアボリジニから土地を奪って日本人の国を作り上げていたかもしれない。

少なくともヨーロッパからの距離を考えると、東南アジアにしてもオセアニアにしても、日本が非常に有利であったと思います。

しかし、徳川政権はそれを望まなかったのです。

従来、鎖国は、非常に消極的なものととらえられてきたけれど、むしろ、積極的に「他国から収奪しない」ことを望んだのではないか、と私は思うのです。


イギリスで興った産業革命は、徹底的な収奪の歴史でした。
効率と発展の名の下に、小作農から土地を取り上げ、生殺与奪の権を握って工場労働者とし、大量に作り上げた製品を売りつけるのです。国内で市場がなければ他国にうりつけます。
植民地にされた国は、食糧生産を奪われ、バナナやコーヒーや砂糖などの交易用の作物を植えることを強制され、身動きがとれないようにされます。
人口は爆発し、新天地を求めてアメリカ大陸に渡り、そこで現地の先住民の土地を奪ってアメリカやカナダといった国を作りました。

それに対して徳川政権下の日本では、それとは真逆の在り方をしました。
その当時の日本でも、たとえば千羽こきのような道具が発明され、それまでこきばしで脱穀を行って生計をたてていた貧しい未亡人などの職業を奪ったという例はありますが、できるだけそのようなことがないようにしていました。

たとえば江戸時代には、車輪のついた乗り物は禁止されていました。
(人力車は、明治時代のものです。)
車輪をつければ、人ひとり、あるいは馬や牛などの動物でひっぱることができて効率的なはずですが、それを禁じたのです。

大井川にも、橋がなく、渡し忍足が人をかついで渡していました。

便利にしすぎず、不便を残して「人手をかける余地」をわざと残していたのではないか、つまり「人から仕事を奪う」ことを極度に避けていたと、私には思えるのです。

江戸時代の日本では、犯罪を犯した人に、大工仕事などを教えて手に職をつけさせて再犯を防ごうという発想がありました。(同時期のヨーロッパでは、いたずらに獄につないで鞭打ったりするようなことがなされていました。)

江戸時代の日本では、多色刷りの浮世絵があって、庶民がそれを廉価に買い求めて絵草子や瓦版を読んでいました。
それだけの文化的な民衆が育っていたのです。

ヨーロッパでの発見より積分が早く、しかしそれらの数学的なものはすべて「頭を使うパズル」としてのみ享受され、産業革命などは起こらなかった。

どころか、上に挙げた「千羽こき」だって、たとえば「水車につなげてよりたくさん脱穀する」みたいなことをしなかった。(それをやれば、あとは、水力といった天然の力から、石炭などを燃やしたエネルギーを使って・・・はそんなに先のことじゃない。)

たとえば徳川時代は、豪商が「華美すぎる」と処罰され、財産没収で屋敷は闕所、といった措置をされることがありましたが、その意味もわかろうものです。
あんまり華美で豪華な生活をしている人間をみたら、「我も我も」となるのは必然で、そうなると「弱いものから奪ってでも自分は富を集める」になってしまいます。
そこから、産業革命や植民地主義は遠くないです。

「人から仕事を奪わない」「自分たちが生活に十分であればそれ以上求めない」「知恵は、弱い他人から奪うためではなく、楽しむために使う」
江戸時代の日本は、そういう思想の下作られた国家であり、そのための鎖国であった、と私は思うのです。


今さら江戸時代に戻ることはできないし、それが100%良いかといわれたらそうでもないこともわかります。
でも、鎖国をただ単に「停滞」であると考えるのではない、もっと積極的な意味がある、その意味を考えるべき時がきていると、思っています。






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