大都会の小さな家

大都会の小さな中古マンションに住むおひとりさま女の日常をつづったブログです。 注意事項: 比較的、自分の好き嫌いをはっきり述べています。 それは、単なるさくらねこの好き嫌いであって、さくらねこが嫌いな場合であっても、そのこと・ものを否定しているのでも、そのこと・ものを好きな方を否定しているのでもないことを、あらかじめ申し上げます。1記事が長めなので閲覧はPC推奨です。 リンクはご自由に、相互リンクも募集中です!

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大阪の実家にいくと、そのあと1-2週間は体調が戻らないので困ったものです。
腐海の胞子を吸い込んでしまうらしく、肺がおかしくなってしまいます。

土日、寝てばかりいました。
少し気分がいいです。



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思うのだけど、兄の問題と難民の問題は、似ているような気がします。
(多くの難民が、生活の場を追われなければ、兄とはちがってきちんと勤労していた人たちだと思うので、兄に例えるのは申し訳ないのですが。)

「受け入れる側」「面倒を見る側」の視点で考えると、似ているということです。

着の身着のままでお金もなく、だからといって人間だから最低限の生活はできるように気を配らなければならない、頭の痛いところです。



難民の場合は、人道から考えると、手を差し伸べなければならない対象です。
しかし、ただ単に命を救うために入国を許して、難民キャンプに滞在させて、最低限の生活をさせることが、本当の意味で「助ける」ことになるのか、という問題があります。

短い年月ではない、相当長い年月にわたって面倒を見る条件を整えないと、受け入れるとは言えないなあと思っています。
言葉の支援、仕事の支援、生活の支援を継続的にしていく受け入れ態勢がないと、結局、「狭い難民キャンプで食料だけ与えられている」ことになってしまう。
そうなると最初は「助けてもらっただけありがたい」と思っていても、人間だもの、「どうしてこんな状況で生活しなきゃならないんだ」ということになってしまう。

しかも、難民になる人の多くが「貧しい人」であろうというのは想像に難くないです。
お金のある人・どこでも通用するような技能のある人は、もっと早いうちに逃げ出している可能性が高いです。

たとえば英語ができるネットワーク技術者のシリア人がいたとしたら、インドでもアメリカでも日本でもどこでも生活ができるでしょう。またどこの国も「難民」としてではなく「技術者」として、有益な人材として扱ってくれるでしょう。あまりにも状況が悪くなる前に、どこかもう少し安全なところに行くでしょう。

たとえ元の国で何らかの技術があって、まっとうに暮らしていた人でも、難民となった先でそれが生かせるとは限らないです。
たとえばシリア人の建築家がいたとして、日本に難民としてやってきたとしたら、日本ではシリア人が住むような石づくりの家の需要などないし、日本の建築基準法だってわからないでしょう。

もともと貧しい人が多く、戦乱から逃げてきて心や体にダメージがある可能性も高く、言葉や文化の違うところで通用する技術がないので生活を立て直せるようないい収入の仕事に就ける可能性が少ない人たちが、数万人・数十万人・数百万人の単位で押し寄せてくると考えると、恐ろしいものがあります。


言葉や宗教や習慣の違う異国の人たちが固まって住んでいる、しかも貧しくて国の補助で暮らしている、貧しいから泥棒も多く治安も悪い・・・次第に近隣住民といさかいが発生する、たとえまともな人でも「○○人だから」と差別されるようになる、次第に衝突が起こる・・・ということになってしまいます。

「人間だから、最低限の生活ができるように気を配りながら支援する」ということが、どれほど大変なことかと、考えます。


こう考えると、難民だけじゃない、いろいろ似たような問題があると思います。
たとえば障碍児の問題。

医療が発達して、昔は生きられなかった障碍児が、かなり高齢になるまで生きられたりします。
たとえば昔はダウン症児は長くても20歳まで生きられなかったけれど、今は50歳ぐらいまで生きられるようになりました。

長くても20歳ぐらいまでしか生きられない子であれば、知的障害があって周囲に迷惑をかけても「あの子はかわいそうな子だから」という扱いになるし、親だって「不憫な子だから」と面倒をみられる。
でも50歳まで生きるとしたら、親の一生をその子の面倒をみることに費やさせることになるし、周囲だって「かわいそうな子」扱いをし続けるわけにはいかないでしょう。


たとえば老人介護の問題。
昔みたいに、寿命がそれほど長くなければ、ボケたり、起きられなくなったら、数か月かそこらで逝ってしまう。
それだったら介護していてもいいけれど、それが数年、数十年になったら、面倒を見る側の負担も半端ないです。


難民にしても、障碍者にしても、老人にしても「面倒をみても自立する可能性がない・低い」人たちを、「数年~数十年単位で」面倒をみるという問題は変わらない気がします。

犬猫なら、良い話ではないですが、どうしても世話をするのが無理なら・・・殺処分という手段がないわけではないです(良いとは思いませんが、野山に放したり、犬猫を飼ってる人の家の前に置いて来たりするよりは良いでしょう。)

でも、人間をそうするわけにはいかないのです。

ニートの場合も、働かず数十年生きてきた50代など、今さら働いて生きるようにはできないと思っています。
面倒を見続けると、面倒をみる側に非常に負担がかかる、ということです。
私の場合は、兄を「あと10年ぐらい暮らせるお金を渡す」「立ち行かなければ生活保護を頼る」ことで、逃げようとしています。





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