大都会の小さな家

大都会の小さな中古マンションに住むおひとりさま女の日常をつづったブログです。 注意事項: 比較的、自分の好き嫌いをはっきり述べています。 それは、単なるさくらねこの好き嫌いであって、さくらねこが嫌いな場合であっても、そのこと・ものを否定しているのでも、そのこと・ものを好きな方を否定しているのでもないことを、あらかじめ申し上げます。1記事が長めなので閲覧はPC推奨です。 リンクはご自由に、相互リンクも募集中です!

2017/04    03« 1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  12  13  14  15  16  17  18  19  20  21  22  23  24  25  26  27  28  29  30  »05
*スポンサードリンク*
『子供を悪くする法』昔、私が小さいころ、そんなタイトルの本が家に転がっていました。

この、インパクトがある表紙です。




後になって調べてみると、1971年出版の本でした。

「子供を良くする一般的な方法はないけれど、確実に悪くしてしまう方法はある、それを実例に基づいて紹介する」といった内容の序文が書かれており、内容は、1971年に出版されたのだとは思えないような、現代にも通じるものがありました。





たとえば、
「弟は『アトトリ』だから優遇してお姉ちゃんは女の子だからなんでも後回しにして育てたら、お姉ちゃんは成績は良い子になったけれど底意地悪くて特に弱いものをいじめるような女の子にそだってしまった」というような例。
(木の上の巣で親鳥から餌をもらっている弟鳥と、それを地上から恨めしそうに見ているお姉ちゃん鳥の挿絵を今でも思い出します。)

あるいは、
「弟は優秀でお医者さんになるんだからと優遇して育て、兄はバカだバカだと育てた挙句、弟は動物を解剖して喜ぶような子に、兄は気弱でその死体をそっと葬ってあげる子に育ち、最後に弟は友達の手をメスで切り裂いた」という例。

もちろん、詰め込み教育の末に勉強がすっかり嫌いになって少し大きくなってグレる例、理不尽な暴力で虐待してとうとう子供が犯罪者になる例など、とても今から45年前に出版された本だとは思えない内容です。

その本は、たぶん、室蘭から大阪の茨木市に引っ越したときに捨てたと思います。
(だから私が読んだのはおそらく10歳ぐらいです。)

それからずっとずっと後になって、いつのことかは忘れたけれど(確か私が二十代のころです)、母が、ぽつりとこういったことがあります。
「昔、お兄ちゃんが小さいころ、子育てテストみたいなのを受けて、『あなたの子供はこのままだとひどいわがままになります』と言われた」

それを聞いて「それならなぜ、そのテストの結果に、こう改善しなさいみたいなアドバイスがあったろうにその通りにしなかったのか」と思いましたが、口に出しませんでした。

おそらく上記の本も、気まぐれに扱い子供の自己肯定心は踏みにじる両親に育てられて、問題児の萌芽が見え始めた兄を何とかしようと思って買ったと思います。
(1971年の本なので、私に対して、ではないと思います。)

おそらく、そのテストの結果に書かれてあったであろう「改善点」に、母も父も従わなかったのは、その内容が、母や父のあり方を変えることを強く求めるものだったからに相違ないです。

 *

あの人たちは、自分を絶対に変えたがらなかった。

特に母には非常識なところがあって、近所の人と仲良くなっては嫌われていました。

たぶん私が小学1年生か2年生のころ、母の友達になった人のところに連れられていきました。
そこで私はおトイレにいきたくなり母にそう言ったところ、おしっこなのかうんこなのか聞かれ、うんこだというと、あろうことか、母はその家の人に「ここで検便を取っていいか」と聞いたのです。
その人の顔はひきつっていました。私も嫌がりました。
でも母はその場で強行しました。
そのころの私は、一度にほんのちょっぴりしか大が出なくて、確かに検便にはよかったでしょうが(そのころの検便は親指の頭ぐらいの便をとっていた)、それにしても人様のお家で取ることはないし、トイレならまだしも、リビングでとったのです。

しかもとって紙につつんだそれを、リビングのテーブルの脚のそばにおいて、帰り際にそれをもっていきました。
そんなものを人様のおうちのテーブルの脚のそばに置いて、その後何十分かさらに話し込めるその神経がわかりません。

もちろんその人のお家には二度と行きませんでしたし、おそらく二度と誘われなかったと思います。

母の、この手の非常識さには、いつも恥ずかしい思いをしていましたし、困ったことも二度や三度ではないです。

母は、相手が嫌がることを推測できない人でした。
また非常に頑固で自分が思ったことをごり押しする人でした。

父は、相手が嫌がることを推測できて、かつ弱い相手にはそれをわざわざやる人でした。

どちらにしても子供には猛毒親だとしか言いようがないです。

父も母も、子供の「自己肯定感」を破壊するのが楽しくてしかたがなかったように思えます。
私が楽しそうに何かをしていると、いろいろ干渉してきました。
特に父は「バカ」と言う言葉を言える隙を見つけると必ずいってきました。
たとえば私が何かの臭いに気が付かなかったとき、「おまえそれは鼻がバカになってるんだ」の「バカ」をものすごく強調して言うなどです。

そういうことを言われて「そういうことをいって何が楽しいの」って言ったら、「楽しくなんかないお前なんか不愉快でしょうがない」「何言いがかりつける!」みたいに激怒しました。(でも楽しくてしかたがなかったんでしょう。)

私に対しての言動を書きましたが、おそらく兄に対してもやっていたでしょう。

兄を見ていると、兄は、自己肯定感を全部損なわれてしまったように思えます。
自分の内部に対してもです。

私の場合は、「自分は人に受け入れてもらえる」という部分のみひどく破壊された気がします。
心を堅く閉ざして、「自分がけっこう能力がある」といった部分は壊されずに済みました。

 *

少年Aの時もそうですし、秋葉原通り魔事件の加藤智大のときもそうでしたけれど、私は事件が起こった後彼らに兄弟がいたことを聞いたとき、彼らの弟たちに非常に同情をしました。
(それは加藤智大の弟が自殺をした今だから言うのではなく、そのときから、思っていました。)

ずっと、私の兄が何か外部に事件をしでかしたら、私は何も罪を犯してないのに、私の置かれている状況は最悪なものになるだろう、そう予感していたからです。

だから、今年の前半に、兄のことでいろいろしなければならなかったときも、このブログを読んでいた方々から「なんでそんなお兄さんにしてあげるの」と言われてきましたが、その理由の半分ぐらいはそういうことです。

兄は、気弱な面が多いので、外的に爆発する可能性は低いですが、それでもここで兄に対する生殺与奪の権を握ったからといってそれをふりかざしたり、今までの仕返しをしたりしたら、何が起こるかわからないからです。

気がくるって刃物を振り回して人を殺したとかされたら、会社にいられなくなります。
ガソリンをひっかぶって家の中で焼身自殺されたりしても、多大な経済的損失を受けます。

だから、兄をブッ殺したくなることはまれによくあったのですが、我慢しました。
できるだけソフトランディングを試み、もし無理でも「兄の切り離し」ができるだけ「救う手を伸ばしてどうしてもだめだった」末に行ったということにしたかったのです。

 *

私が、兄のことを書いていた今年の前半から半ばまでで、どなたかが「さくらねこさんのお兄さんは自己愛性人格障害ではないか」とおっしゃいました。

はい、そのとおりだと、思いますよ。

たぶん、私の家族は、このような状態だったと、思います。

自己愛性人格障害が家族にいる人 [転載禁止]©2ch.net


3 :優しい名無しさん:2014/12/31(水) 01:00:33.74 ID:GDiI5ub2
家の中に自己愛がいると気付いた時には 家族の中で1人だけタゲVS自己愛+その他全員 自己愛の味方の取り巻きという状況に追い込まれ非情に辛い思いをします。 

たぶん、私が生まれるぐらいまでは、両親も兄をなんとかしようとしていたのだと、思います。
わがままで問題がある息子を矯正しようと、本を買ったりテストを受けたりしたのだと、思います。

でも、私が生まれてしばらくして、兄が手をやく思春期に入ったころから「妹を全部悪いことにすれば楽」なことに、両親も兄も気が付いてしまったのだろうなと、思います。
お兄ちゃんのわがままを全部妹にかぶせてしまえば自分たちは楽、だったのだろうと、思います。

父は、いつも、私のいうことが正しいと認めざるを得ないことがあれば、「お前の肩を持ってやるわけじゃないけどお前が正しい」という言い方をしました。
正しくても、兄の勢いが強ければ(たとえば物を取り上げられたなどで、私が泣いていたりすると)「そんなことぐらい我慢しろ」など私を悪く言いました。私が傷ついた顔をすると面白くてたまらない、という顔をしました。
私に少しでも正しくないところがあれば「そんなんだからお前は信用されないんだ!」と言いました。

それなのに、兄は、「お父さんはお前に優しかった」などというのですよ?
なぜか、父は、私の能力的なことは、私に対して直接認めたりはしませんでしたが、上記ほどひどい扱いはなく、かつ、兄に対しては私のことを頭がいい、努力家だとかほめたりしたらしいです。
それは、兄の私に対する暴力を強めるだけでした。
兄は、父から能力的に認めてほしくてたまらない人でしたから。
(私をほめたりしたのは、ひょっとしたら、もっと悪い意味だったのかもしれません。
兄を傷つけ、兄を私にけしかけることで私を傷つけたかったのかもしれません。)

兄は、前も書いたけれど、認められたくて認められたくてしかたがない、他でもない自分が自分のことを頭が悪い頭が悪いと思っているのです。
自分が「できない」ことを認められなくて、ちょこっとやってできたら天狗になるけれど、できなかったらそのことを避けようとします。

中学二年で英検三級に合格して「俺英語好きだ」と言い、中学三年で英検二級に失敗して「英語なんて」と言い出す。
比較するのは身近な対象で、私が何年か経って英検二級を受けて最初不合格だったときのほっとした顔をよく覚えています。その次またがんばって合格したら、その後英語の話題は私の周りで避けるようになりました。

たった英検二級でなんでそんな思考にならなきゃならないのか、私にはまったく理解できません。
その程度、できなかった人を馬鹿にしたって、すぐ追いつくに決まってます。
人間、コンプレックスがあったらそういうことをしちゃうこともある、でも、兄はそういうコンプレックスの塊で、世の中のどんな局面もそうだった。

私が兄より勝るといじめたけれど、兄より低い人間になるのは相当難しいです。
たとえ兄の妨害で大学受験に失敗し、時給1000円のフリーターで生きるようになったとしても、兄より低くないです。(そうなったら兄は「俺より下」だと思うでしょうけれど、働いている限り兄より下になれないです・・・。)
中学行かずに家を飛び出して不良の仲間に入って二十歳で中絶5回、シャブ中で頭がクルクルパーになって何か恥ずかしい犯罪でムショに入る、ぐらいじゃなかったら兄より下になれません。

何で、両親は、兄に、努力を教えなかったんでしょうか。
「一回失敗したぐらいでそういう態度になるほうが馬鹿だ、もう一回英検二級にチャレンジしろ」
「英検二級って高校生レベルでしょ?今失敗したって恥ずかしくないんだから、次の半年か一年がんばってもう一回受けてみなさいよ」
なんで、兄にこう言ってあげるような親じゃなかったのでしょうか。

他のどこが悪くても、ここらへんがまともだったら、兄も、私も、もっと幸せだったと思います。

私が大学生の時、英語がちょっとできると思って受けたはじめてのTOEICが、たった420点でした。
それから25年ほどかけて、ようやく875点です。
その間、通じなくて汗をかいたこと、英語面接でバカにされたこと、苦しかったこと何度もあります。
これは私が大して才能がないことの証明でもあるし、もっと英語ができる人はたくさんいるけれど、それでも、鈍牛のように努力してきた宝物で、貴重なものです。
兄は、このような考えを持つことがないと思うし、それは不幸なことだと思います。
どうして、両親は、兄に「点数が高いことは偉いことだけど、努力を重ねることも偉いことだ」と教えてあげなかったのでしょうか?

兄を「自分よりみじめな人間がいたら安心する」ようなそんな人間に、どうして育ててしまったのか、その「自分よりみじめな人間」の対象としてどうして私をイケニエに置いたのか、両親を問い詰めたいです。

 *

先日のエントリで、私は『絶歌』について、「元少年A」が、非常に正直に書いていると言いましたけれど、ただひとつ家族に関しては「本当かな」と思っています。

あの事件に関しては「すべて僕が異常だったのだ」ということにしようとしているけれど、やっぱり家庭環境は大きかったんじゃないかと思います。

他の資料を読む限り、長男である彼には非常に厳しい、厳しいくせにナイフを持ち歩いていることには気づかないような母親で、父親もいつもは影が薄いのに衝動的に怒る人であったように、思えます。

特に、弟さんたちが「あなたが兄でよかった」と言ってくれたことは、私には信じがたいです。

それまで自分に良くしてくれた兄が、たとえばうっかり居眠り運転で人を殺めてしまうとか、あるいは非常に強い恨みのある相手をひどいやり方で殺したとかなら、そういう反応はわかります。

それまで自分を意味なく殴るなどし、兄の行ったあの事件によりで自分の将来が閉ざされてしまい、また弟さんの一人にとって、事件の被害者の淳君はいい友達だった・・・そんな兄を「あなたが兄でよかった」とは絶対言わないだろう・・・と思うのです。

憎しみを抑えて兄の更生に手を貸すことはあっても、「兄でよかった」とは思わないだろう、と思うのです。


以前のエントリに書いた通り、自己肯定感にひどく乏しく、自分が人に受け入れられるとは思えない、そういう育ち方をした私は、おそらく同様に「自分は人に受け要られれない」と思い込みすぎて犯罪にまでいたった元少年Aのことを、その部分では「わかる」ところがありました。

でも、やっかいな兄弟を持った人間としては、その部分は「違うんじゃない?」と思ってしまいます。



↓ ランキングに参加しています。良かったらクリックしてください ↓
にほんブログ村 ライフスタイルブログ おひとりさまへ にほんブログ村 その他生活ブログ 片付け・収納(個人)へ

拍手[12回]

お名前
タイトル
メール(非公開)
URL
文字色
絵文字 Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
コメント
パスワード   コメント編集に必要です
管理人のみ閲覧

プロフィール

HN:
さくらねこ
性別:
女性
自己紹介:
各種ランキングに参加しています。
にほんブログ村 ライフスタイルブログ おひとりさまへ

最新コメント

[04/12 とりおた]
[03/09 いがぐり]
[03/03 通りすがり]
[02/15 いがぐり]
[02/15 tensiroque]

忍者カウンター

メールフォーム

PVランキング

アクセス解析

ブログ内検索

<< Back  | HOME Next >>
Copyright ©  -- 大都会の小さな家 --  All Rights Reserved
Design by CriCri / Material by もずねこ / powered by NINJA TOOLS /  /