大都会の小さな家

大都会の小さな中古マンションに住むおひとりさま女の日常をつづったブログです。 注意事項: 比較的、自分の好き嫌いをはっきり述べています。 それは、単なるさくらねこの好き嫌いであって、さくらねこが嫌いな場合であっても、そのこと・ものを否定しているのでも、そのこと・ものを好きな方を否定しているのでもないことを、あらかじめ申し上げます。1記事が長めなので閲覧はPC推奨です。 リンクはご自由に、相互リンクも募集中です!

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オリンピックもそうだけれど、ノーベル賞も「日本人受賞者が」のニュースが多くて閉口してしまいます。

金メダルを取った○○選手と同じ日本人である、ノーベル賞をとった××博士と同じ日本人であるということを誇らしく思うのはいいことだけど、それはすばらしい業績の余徳にしかすぎないです。

どこの国の人であっても、素晴らしい業績は素晴らしい業績なのであって、まるで国ごとの競争みたいな言い方をするのは嫌いです。

特に、「韓国人がノーベル賞とれなくてファビョってる」的なことは、どうしてそんなことをわざわざ言い立てなければならないのか、わからないです。
(同じレベルに下がってしまう気がして・・・もし彼らが日本人をそんなことで妬むとしたら妬ませておけばいいだけのこと。)





正直いっちゃえば、前世期の終わりごろ(1980-1999年ぐらいまで)「どうして日本人はノーベル賞が取れない」「湯川博士や朝永博士に続く人材がなかなか出ない」「日本人は独創性がない」「日本人は猿まねしかできない」「日本は基礎研究に金を出さない」とずっと言われてきました。

そのころの日本人は、アメリカやヨーロッパにコンプレックスを持ち、「ロンヤスの関係」とかいってアメリカの大統領にファーストネームの愛称で呼ばれて対等みたいに扱われることで得意げで、南アフリカ共和国などで「名誉白人」などと扱われて得意になったり(差別されてることには変わりないのに)、パリのシャネルやヴィトンのお店ではメガネで出っ歯で首からカメラをさげた日本人の団体がブランド品を買いあさっていました。

つまり、今、日本でノーベル賞が排出するとしたら、それは、高度経済成長期~バブル期などを経て豊かになった日本が、基礎研究にもお金を回すようになり、それがようやく数十年の時を経て結実したというだけのことです。

だから韓国や、あるいは他の国々も、数十年後を見れば、たくさんのノーベル賞科学者を世界に送りだしているかもしれません。

それに、ノーベル賞は素晴らしいけれど、ノーベル賞をとれなくても素晴らしい研究は山ほどあります。
(そしてたまに、とんでもない間違いに対してノーベル賞を与えることもあります。たとえば「ロボトミー手術」に対して賞を与えたことは黒歴史といってもいい。)

ノーベル賞は、素晴らしいものだけれど、それは人類に寄与する良い研究のなかのほんのひとにぎりにすぎず、それを国の名誉や国民の優劣に扱うことに、違和感を感じます。


 *


科学系のノーベル賞は、たまに間違いや、「こっちの方が良かった」はあっても、たいていの場合、選ばれた研究には価値があることは確かなことです。

これが、ノーベル文学賞になると、「取れなかったからといって価値がないわけではない」し、もっといえば「取れたからといって・・・」も結構あるような気がします。

ノーベル文学賞をとった人一覧を見て、「この作家の作品を読んだことがある」と思う人ってどれだけいますか?

多くの日本人で「いやあ、読まないなあ、高校生の時夏休みの感想文の課題図書で川端康成は読まされた」じゃないかしら。
少し本を読む人でも「ヘミングウェイは好きだ」「ヘッセ、ジィド、カミュ、トーマス・マン、パール・バックは読んだ」ぐらいじゃないかしら。

たとえば1910年の受賞者パウル・ハイゼなどは、当時非常に流行ったそうですが、今では『ララビアータ』一作以外は忘れ去られた作家になっています。
(まあ、遠く離れた日本で、100年前の外国の作家の作品が1作でも出版されているほうがすごいとも言えますが。)

たとえばトーマス・マンは、先のノーベル賞受賞者一覧に出てる人の中では、ヘミングウェイと並んで日本で出版されている作家だと思うけれど、今の日本人が『ブッテンブローグ家の人々』を読んだら「書いてあることはわかるけれど、何が言いたいのか、これのどこがおもしろいのかさっぱりわからない、家が没落してメソメソしてるだけじゃ?」と思う人が続出すると思う(でも私は大好きです。トーマス・マンのノーベル賞受賞作はこれです。)
魔の山』なら、ああ、モラトリアム青年がいろいろな人と出会って自分を形成していく青春小説で、そこで第一次世界大戦が勃発してしまう、ということだとわかると思うけれど、そこに描かれている、第一次世界大戦前の「人間を財産や人種で分けるのが当たり前」「主人公は中産階級のエンジニアとかいってるけど高級サナトリウムで7年ニートできるので今の日本人には上流階級にしか思えない」な世界を肌では理解できないです。

文学作品は、よほど人間の普遍的な真実に迫らないと、恐ろしい勢いで古びてしまいます。
作者の生きた時代、作者の生きた国を超えることは稀です。
作者の死後50年経っても読み継がれているとしたら、だいたい「名作」と考えてよいけれど、ノーベル文学賞は「存命中の作家」を対象にしているので、時間のふるいのかかっていない作品を読んで、そこから判断なので、難しいと思います。

だから、ハルキ・ムラカミが、ノーベル文学賞を取れなくても、それが作品の価値がないということを意味しないし、逆にノーベル文学賞を取っても、死後数十年もしたら忘れ去られてしまうかもしれないです。


人間の普遍的な真実に迫るような描写は、なかなかありません。

私は、パール・バックの作品は一作しか読んでなくて、しかも最も有名な『大地』でもなければ、小説でもない、彼女と彼女の娘のことを描いた『母よ嘆くなかれ』しか読んだことがありません。
それを読んだのはずいぶん前、二十年は前なのだけれど、よく覚えているシーンがあります。
生まれ落ちたときは正常に見えた娘が、いつまでたっても言葉も発さず立ち上がることもないので、いろいろな医者に診てもらっていて、最後の医者が、ドイツ訛りの英語で、たどたどしく「この赤ちゃんは治らない」「こういうお子さんを持ったご両親が、子供を治すために全財産をなげうち自分の人生もなげうってしまうのを何度も見た、治らないことを受け入れて、この子の環境を整えるために力を注いだほうが良い」ということを、パール・バックに言うのです。
そして、彼女はその残酷な真実を、受け入れたのです。

ここの部分だけでも、パール・バックがノーベル賞作家である価値はあると思います。

(思い出したけれど、私がこの話を兄にしたとき、兄は「俺は真実は話さないでほしい」と答えました。兄らしい答えだと思います。)


私は、村上春樹の作品を、一作しか読んでいません。
良く知られた『ノルウェイの森』を、それが流行ったバブル期から十数年も経ってから読みました。

だから、ノーベル賞を取るにふさわしいと思うともいえないし、取れるとは思えないとも言えません。

あの作品の中で、とても印象に残っているシーンがあります。
それは、主人公のワタナベ君が、女友達の緑に連れられて、緑の父親のお見舞いにいくシーンです。
緑の父親は脳腫瘍で、何度も手術をして、手術をするたびに記憶や言語がおかしくなっていて、もうそう長くは生きないだろう人です。
緑の父は、緑がどういっても食事をとらず、しかし、ワタナベ君はそんな緑の父に、キュウリを食べさせてしまいます。

あの小説は、よく「どうして主人公がやすやすと女とセックスできるのかわからない」といわれるけれど、あのキュウリのシーンでわかります。
弱い人、傷ついている人に、自然体で入り込める人なんです。

逆にあのキュウリのシーンがなければ、確かに、男性の書いた「主人公は女性に対して何もしてないのに女性からエッチしてくれる」ありがちな恋愛小説にしかならないです。

そのほかのシーンはほとんど覚えてないです。

そのシーンだけでも、確かに、ノーベル文学賞にノミネートされていい、と思います。
ただ、そこだけで、ノーベル文学賞が取れるかどうか、また取れたとしてその後も残り続けるかどうかはわかりません。

私の読んでいない他の作品に、それと同じぐらい「人間の存在に迫った」シーンがもっとあれば、きっと受賞するでしょう。



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初めまして

お早うございます。
40代男性です。
今日初めてあなた様のブログにお邪魔させていただきました
よろしければ、今後も拝見させて下さいね。
よろしくお願いします。
by ハロー 2016/10/07(Fri)08:11:27 編集

コメントありがとうございます

コメント公開おくれてすみませんでした。
またコメントくださるとうれしいです。
2016/10/16 21:20

無題

すいません・・・村山ではなく村上です
by NONAME 2016/10/07(Fri)19:00:25 編集

Re:無題

あひゃあ・・・
翌日に書きましたが、こんなボケばっかりなのですよ(大汗)
ところでまたノーベル文学賞とりそこねましたね。
私はハルキストじゃないですし、ノーベル文学賞の価値があるかといわれたら・・・どうだろう、ぎりぎりかなあ、って気がしますが、それにしてもミュージシャンにあげるぐらいなら・・・って思います。
2016/10/16 21:21

無題

ロボトミーなんて何で知ってるんですか?スケバンデカ?
さくらねこさんて同年代ですよね?私は1973年生まれです〜。
パールバックは宣教師だった両親の伝記的小説を読みました。
時代を経ても色あせない文学は「恋愛もの」ではないでしょうか。恋愛はいくら科学が発達しても人間のこころの動き、これは普遍なものですから...源氏物語なんかそうじゃないですか?
by ろんぱり 2016/11/23(Wed)12:03:04 編集

Re:無題

コメントありがとうございます。
同年代ですよー。
源氏物語は、今から1200年も前に書かれたとは思えない部分が多々ありますよね。
あまり評価されない宇治十帖ですが、こちらのほうが現代的だなと思っています。
浮舟は、従姉の宇治の大君に似ているという理由から薫大将に求められ、月に半々、正妻と自分との間を行き来されているのだけど、これって「私って何?他の誰でもない私が好きなんじゃないよね?私の方が好きというのでもないよね?」って思っちゃいますよね。
そこに「他の誰でもない君がすきだあああああ」と熱烈に迫ってくる匂宮に迫られてそちらにふらふらと・・・現代でも通じますよね。

2016/12/26 22:45
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